第8回 ハイデルベルク

ハイデルベルクは、ドイツ南西部に位置する人口十四万ほどの町である。マイアー=フェルスターの戯曲『アルト・ハイデルベルク』の舞台として名高い町だ。外国に行ったことのない私の父がなつかしそうに『アルト・ハイデルベルク』の青春を語るのを聞いて、十代半ばで古びた岩波文庫を読んで以来行ってみたい町だった。

大概そのような所は、行ってみると、抱いていたイメージとの落差にがっかりすることが多いのだが、先の世界大戦で本格的な空爆を免れた旧市街は想像以上に美しいアルト(古き)なたたずまいを見せていることに驚かされた。

町の中央にネッカー川が流れ、煉瓦積みのカール・テオドール橋の上方、家並みの上の広葉樹林の中に鎮座しているのがハイデルベルク城だ。城は十四世紀あたりから何代も当主を変え、戦火にまみれたこともあり、建て替えと建て増しが繰り返されたために、ゴシック、ルネサンス、バロックなどの各様式の城館を見ることができて興味深い。
『アルト・ハイデルベルク』は、とある公国の公子でハイデルベルク大学の学生カールと居酒屋の娘・ケーティーの恋物語。二人はたちまち愛し合うようになるが、カールは大公の位を継がなければならなくなり、引き裂かれるように公国に連れ戻され政略結婚を強いられる。結婚をひかえ、カールはハイデルベルクを訪ねてケーティーと再会。「互いに決して忘れるまい」と別れのキスをする。日本でもたびたび上演されているのでご覧になった方もいるだろう。原作をもとに『学生王子』というミュージカルもあり、『皇太子の初恋』の邦題で映画化もされている。

そんなカールたちが青春を謳歌したハイデルベルクで、戯曲にゆかりの居酒屋・赤牛亭に入った。時間のせいか客は私一人であった。グラーシュという煮込み料理が体をあたためる。ビアを飲みながら、小さな声で戯曲で歌われた歌を口ずさんだ。
「ああ なつかしき青春よ! そもいずこへ消えし……」。

ハイデルベルクへの旅は冬が良い。大学町らしい思索的な雰囲気は冬のほうこそ味わえるからだ。ゲーテはこの町で五十歳年下のマリアンネと恋をしたが、年齢を忘れ、ロマンティックな思いにひたるのもいいだろう。
藤田晴央(日本現代詩人会会員)